2021年、イスム史上最大の60センチという迫力サイズで発売された「S-Class 兜跋毘沙門天」。異国情緒漂う像容で人気を博すこの像が、TanaCOCORO[掌]にデビューします。
創建1200年 世界遺産
東寺が所蔵する国宝像
延暦13(794)年、平安京を開いた桓武天皇は、奈良で隆盛を極めた南都寺院の移転を認めず、東寺と西寺、二つの官営寺院を建立しました。
その後、嵯峨天皇より弘法大師空海に下賜された東寺は、以降、真言密教の根本道場として栄えました。
境内に高くそびえる五重塔は天災などによる焼失と再建を繰り返し、寛永21(1644)年に再建された現在の塔は5代目となります。新幹線の車窓から見えるその姿は、今や京都のシンボルとして世界中から愛されています。
国家鎮護の守護神、兜跋毘沙門天
時は唐の玄宗皇帝の時代。
西域の安西城が異民族に襲撃された際、皇帝の命を受けた密教僧の修法により城門に兜跋毘沙門天が出現しこれを退散させた――
この伝説に基づき、兜跋毘沙門天像は国家鎮護の守護神として信仰を集めました。
東寺の寺誌『東宝記』によると、東寺像は平安京正門・羅城門の楼上に祀られていたもので、門倒壊後に東寺へ移されたと記されます。
唐から請来した西域の香り放つ像
唐で造像され、入唐僧によって8世紀に請来したという東寺の国宝 兜跋毘沙門天像は、全身から西域の雰囲気を色濃く漂わせます。
「兜跋」の名称は、唐から見て西の地域を指す言葉に由来するといわれ、腰高で細身のプロポーション、鎖を繋いだ鎧など随所にその特徴が見て取れます。
細部へのこだわり
鳥のモチーフが入った高さのある宝冠は西域の王のものがモデル。
大きく見開いた目とつり上がる眉が特徴。玉が嵌められた目を彩色で表現。
先端部の直径がわずか1mmの宝塔まで、繊細さを失うことなく造型。
大袖の毘沙門天像とは異なり、海老籠手(えびごて)と呼ばれる防具を身に着ける。
金鎖甲という西域の特徴的な鎧をまとい、革製の唐風鎧を重ねる独特なスタイル。
大地を象徴する地天女が毘沙門天を支え、両脇には尼藍婆(にらんば)と毘藍婆(びらんば)の二鬼が控える。
東寺の兜跋毘沙門天像は、その出来栄えの素晴らしさと由緒ある東寺に伝わることから数多くの模刻像が制作されました。京都 清凉寺、奈良国立博物館蔵の兜跋毘沙門天像は、東寺像をモデルに造られたものとして知られます。