天平塑像の白眉
祈りを捧げる二尊が
TanaCOCORO[掌]サイズで登場!
でんにっこうぼさつ でんがっこうぼさつ
伝日光菩薩 伝月光菩薩
モデルは8世紀、疫病や天変地異などが続く動乱の世のなかで造られた一対の像。「国宝 塑造<日光仏/月光仏>立像」として文化財指定され、凛とした佇まいが人気です。
かつて奈良県限定で販売をしていた「イスム 伝日光菩薩立像 伝月光菩薩立像」が、至高のクオリティそのままに、高さ約18センチのTanaCOCORO[掌]サイズでデビューです。
天平における塑像の代表作
白く輝く二体の仏
現在は雲母(きら)の入った仕上げ土の白が全身を覆っていますが、造像当時は極彩色に彩られていました。その名残が衣の内側など随所に残り、古色の味わい深さを醸し出しています。
塑造という製法を用いたことで可能になった、写実的で自然な表現は、天平時代を代表する塑像として名高く、極限までシンプルな装飾と、理智的な表情が静謐ながらしっかりとした存在感をもたらします。
静と動が織りなす美
伝月光菩薩
左右対称で控えめな衣文が「静」の印象を与える伝月光菩薩。腰から垂れる帯の対称性が端正さを強調しています。
サイズ:約178(H)×67(W)×67(D)mm 250g
伝日光菩薩
袈裟を左腕に掛けることで生じるボリューム感と下半身正面の力強い衣文が「動」の印象を与えます。
サイズ:約178(H)×67(W)×67(D)mm 270g
細部へのこだわり
謎につつまれる
本来の尊格
寺伝では日光菩薩・月光菩薩とされるモデル像ですが、この名称が登場するのは江戸時代になってから。
一般的に菩薩像は裸足、また装飾物を付けた姿で表されます。ところがこの像はシンプルな唐風の衣装をまとうのみで沓も履いており、天部の像であることが分かります。
また、通常日光菩薩と月光菩薩は薬師如来の脇侍であるのに対し、こちらは不空羂索観音の脇侍となっていました。
これらのことから、伝日光菩薩は梵天、伝月光菩薩は帝釈天として造像されたと見られています。